母が来られない日は、どうしたか

前回の続きで、太陽のロケットスタートして、私たち夫婦は寝る間も、子育ても、あらゆる時間を投げ打って、予約の取れない繁盛店になれた時、3人の小学生をどうしていたか。

おばあちゃんが、来られない日(週2で来てくれてました)そのうちの1日は、定休日。あとの4日間、店にいました。とは言っても、客席はお客様に提供しているので、、、

こうなることは、もちろん創業前から想定してました。なので、本当は一坪でも客席や厨房にしたいところですよね。しかし、一畳ちょっとくらい小部屋を作っておいて学校や野外活動から、お店に帰って来てたのです。一畳ちょっとのスペースに調味料や事務用品などの店の道具もあったので、まー狭い中、ひっついて4時間くらい待たせてました。3年間くらい。私たちの目の前にいるだけ、大変な思いをさせたと思いますが、お互い家族が安心でした。それが一番必要でした。普通の家なら、お部屋でテレビ見たりお風呂入ったり、お話ししたり、、

とにかく、一般的な時間を過ごしていたわけではないですね。それを、親の背中を見せられた、と思うか、自由が無かったと思うか。3人が親になった時に聞いてみたいです。

ざっとですが、子供たちをどうしたかについてでした。子供を背負って、創業とはこう言うものなんです。繁盛させるだけでは無い。それを取り巻く環境の整備と、周りを巻き込む力も必要になるんですね。

今後また、この話題は、とーっても深いので、記事にします。

まずは行動。ではまた明日。

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