『炭火焼き瀧口食堂』は小さな個人店で、学ぶことはたくさんあって、野比の海っぺりにあってとても気持ちの良い場所にあったんですけど、駅から遠くて、特に冬の平日などはお客さんが途絶えてしまう。というのもあり、学べる食材なども限られていて、高級な食材は扱えない状況で、あまり経営も上手くいっておらず、私は、久里浜にある『生簀 会席料理 海』に移りました。
こちらは当時、大繁盛店。毎日ランチタイムか、大忙し。客席には大きなプールのような生簀があり、中には鯛や平目などその時の仕入れた、活けの魚。それと、活けイカ(これが売りの商品)。上にある、水槽には、アワビ、サザエ、トコブシ、伊勢海老などがウヨウヨしている。見ているだけでもワクワクするような演出。
注文が入ると、足袋とセッタを履いた板前職人が颯爽とやってきて、網や手づかみで生簀や水槽から取り出し、目に前のまな板で、手際よくバンバンさばく!あっという間に、お皿に美しく今まさにさばきたての刺身が提供される。20年近く前の話ですが、今、思い出しても、素晴らしい店でした。そりゃ〜繁盛する。そして、夏にはハモ、ウナギ、冬にはフグ、アンコウ、などなんでも来いですよ。
しかし、そんなスゴイ店なので、ペーペーで入った私は、もちろん何もやらせてもらえず。。初めは前菜の盛り付けと雑用、掃除。そんな自分もできることをとにかく全力でやろうと、掃除をめっちゃ頑張った。職人仕事を間近でよく観察した。目に焼き付けた。目的の「店をやりたい」があったからなんでもやれた、頑張れたでも、その時24歳。一般の板前だったらもう6年生くらい。もちろん年下の若い衆もいるが、仕事内容はそれ以下なので、年下の人たちに嫌味も言われながら学んだ。そんな中、当時お付き合いしていた今の妻との間に子供を授かった。当時、総支給額17万円。😅生活できまへん。
社長に相談、1万円増やす。うん、そんな問題じゃない。。
退職へ。少しちゃんとした会社に行くようにしなくては。しかし、目的は「店をやりたい」何が良いか。日本で居酒屋やるには魚だ、と思っていたので、会席料理屋さんではなかなかさわらせもらえなかった、魚に特化した、魚屋さん『魚七』に就職。ここからは、魚の勉強をすると決めた。
まずは行動。ではまた明日。
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